・・・単に硬くなっただけである。
ただ、通常のもの以外では初めてのことだったのだ・・・。
「ザクを極めるものだけが、ガンプラを極める。」とまで言われた「量産型ザク」及び「シャア専用ザク」。当時、例に漏れず、機動戦士ガンダムの虜であった私は、先輩モデラー達の言葉を鵜呑みにして「量産型ザク」を十数体作り上げた。グフ、ドム、ズゴック、ゲルググ・・・、他にも組み立ててはみたが、その無骨な表情と地味な色合いは比肩するものが無かった。自動車で言えば、農家の白い軽トラック、バイクで言えば銀行員のスーパーカブ、否、比喩のしようが無いザク的なるもの!それまでの、プラモデルにおける「ロボット物」のあり方を根本から変えてしまったのは、機動戦士ガンダムというストーリーではなく、迷彩色塗装や砂漠仕様などあらゆるカスタマイズに対応できる「ザク」のリアリティなのだ。その頃の私は、将来「ザク」を組み立て、乗り込み、操縦するつもりでいた。
ところが、やがて私は高等学校へ進学し、勉強と部活動に時間のほとんどを費やすようになり、私の生活から「ザク」及びプラモデル全般が置き去りにされてしまった。まだ手付かずだった「ザク」も、作りかけのジオラマ(情景模型)も、数々の道具類もすべて、完成品もろとも片づけられた。
さらに数年して、実家から出て独り暮らしを始めることになった時、押し入れの奥に積み上げられた、プラモデル群及び「量産型ザク」の山を処分しなければならなくなった。「これだけは」と拒み続けたが、実家を離れることを思うと、勝手に何をされるか分かったものではないし、少なくとも整理だけはしてみようという気になったのだ。押し入れから次々と出て来る「量産型ザク」、その他ガンプラ、田宮模型の戦車、数年前の貴重な時間がそれらに凝縮されていた。捨てられる訳が無い、捨ててたまるか!
未完成のものや破損したもの、プラカラー、道具類をカムフラージュ的にゴミ袋にまとめ、捨て切れない完成品は、購入時の箱だけつぶして、一体一体布切れに包み、丈夫な収納ボックスに移し替えた。更にその内の数体は、これもカムフラージュ的に、裏庭の簡易焼却炉の前、可燃物置き場に捨てた。(正確には「配置した」)実は片付けの最中、極めて魅力的な想像を楽しんだ。私の作ったプラモデルが、実戦の如く砲弾を受け、爆破する場面の再現!情景模型の極致!出来るのは今しかない!
その翌日、捨てたと思わせたプラモデルを路地裏の更地へ運んだ。前日の夜、「彼ら」の最後にふさわしい派手な演出を、明るくなるまで思案してあったので、準備に時間はかからなかった。
一番、田宮模型の戦車パットン。地雷を想定して、ほぐした爆竹をキャタピラの下で爆発させると、あっけなくひっくり返った。小さな損傷部に爆竹を2本ねじ込み、爆破。
二番、「ホワイトベース」。針金を焼いて数箇所に穴を開け、半分にねじ切った爆竹を切り口が出るように差し込み、液体の接着剤を本体にふりかけて点火。「木馬」は瞬時に燃え上がり、仕込んだ爆竹は花火のように火の粉を吹いた。
三番、60分の1「シャア専用ゲルググ」。最初に首の付け根に穴を開け、爆竹を使ったら首が飛びぬけ、胴体は接着面で真二つに割れてしまった。ラッカースプレーに点火して、処分。
四番、「量産型ザク」最後に残った2体。慎重に穴を開け、「木馬」同様爆竹を仕込んだ。最後なので、2体の「量産型ザク」をお互いの肩を励まし合うよう連結させ、さらに液状セメダインは、爆竹と爆竹を線でつなぐように塗り付けた。片方の足から点火。順々に爆竹花火に引火して、もう一人の「量産型ザク」にもつながり、花火が終わってしまっても、若干の融けたプラスチックは燃えていた。
数分間、最後の「量産型ザク」に見とれていた。2体の「量産型ザク」は、連結した腕のためか倒れず、真に励ましあっているようであった。
見とれていながらも私は、ラッカースプレーを手にして、火を点けた。
支え合う「量産型ザク」2体に火炎を浴びせた。
炎は彼らをまんべんなく溶かし、2体の「量産型ザク」は、お互いを抱擁しながらそこに崩れた。
私は初めて「恍惚」を体験したのだ。
私の股間は熱く、痛いほどに硬直していたのであった・・・。
■■■文芸山脈 28号 ( 2001/04/19 発行)に掲載されました。