30年来の友人Kが、眼鏡をコンタクトレンズに変えたと聞いた。
チョメゾーは見えるのだろうか。
数年前から眼鏡に頼っている俺は、コンタクトレンズには抵抗があった。理由は色々あるけれども、チョメゾーがきちんと見えるかどうかということこそ、コンタクト敬遠の最大の理由であった。
最初にチョメゾーを見たのは、その友人Kと、体育館入口の広い階段で、午後の白い月を見ていた時だ。ちょうど「女子の秘密集会」が行われていたから、小学校5,6年の頃だろう。
「なんだろ?見える?ごにょごにょしてるやつ」
急にKは、やや緊張した様子で俺に訊いた。Kの顔は空を見上げていたが、月ではなくて空中を見ているようで、ウロウロと目玉が泳いでいた。
「あ、ホラ、あ、こっち」と、友人は夢中で何かを見ていた。俺も見たくて、Kが見ているあたりを見てみるのだけれども、なんだかさっぱり分からない。
諦めて月や空中を眺めていたら、俺の目にも「ごにょごにょしてるやつ」が映った。
「来た!見えた、俺にも!」
それは、目と空の中間に、ゆらゆらと輝いていた。目で追うと逃げてしまう。追うのをやめると戻ってくる。無視していると、すーっと動いて見えなくなってしまう。ほとんどのそれは、ぐちゃぐちゃにねじ曲げた針金のように形らしい形が無かった。また、色らしい色も無く、ぼやけているのか半透明なのか、光を反射しているようだったし、暗いところでは見えなかった。
翌日から俺と友人Kは、早速「それ」の伝道師となって、クラスの連中に教えて回った。俺は「それ」を説明するのに相当苦労したけれども、Kは「それ」を「チョメゾー」と名づけて得意気に語っていた。その呼び名には、特に根拠はなかったらしいが、「チョメゾー」は難なく皆に定着してしまった。
そうやって、皆でチョメゾーの話をするうちに、チョメゾーについて色々なことが解ってきた。誰にでも見えるわけではない、上を向かないと見えない、眼鏡を外さないと見えない、外よりも室内の方が頻出する、等。また、俺たちが見ているチョメゾーは、皆それぞれ違うらしい事も解ってきて、新しいジャンケン神様としてチョメゾーが利用されもした。上下に動いたらチョキ、左右に動いたらパー、動きがなければグー。
やがてチョメゾーは、見事に忘れられてしまったようであったが、俺の日常には見事に溶け込んでいた。教室でも自宅でも、退屈なときは、たいていチョメゾーを見ていたし、風邪をひいて寝込んでいるときなどは、丸一日チョメゾーと戯れるのが常であったから。そういえば、大学受験のときも選択問題で困ったときにはチョメゾーを頼ったのである。その頃にはそれが、眼球に付着した塵・ホコリの類に過ぎないと解っていたけれども。
とにかく俺は、30年来の友人Kに電話を掛けた。Kが眼鏡からコンタクトに替えるのを確認し、「チョメゾーが見れないじゃないか」と、チョメゾーの名付け親Kに難色を示した。するとKは動じることなく、裸眼でも見えないのだと、侘びを交えて返答した。俺は何も言えなかったし、詰ったことを後悔した。
とはいえ俺は、「チョメゾー」について普通に会話ができたことに、心底安堵したのであった。
…
◆2007年度【 第8回 3D文章ゼミ 課題:眼鏡 】
課題の内容に沿って、本当(実際の体験や伝聞)と嘘(想像したこと考えたことなど)をミックスして、1400字以内の文章にまとめてください。