退屈な毎日というわけでもないのに、書くことが無いと感じるさびしさ。
通勤して、仕事をして、子育てをして、考え事をして、あれもこれも、あれもこれも。
書きたいことを書くのは無理です。言いたいことが言えないように。
書けることを書く?駄目、全く魅力が無い。
書くべきこと?何も無い。書くべきでないことならたくさんある気がする。
この一連の文にしても、書きたくないことだったりして。
でも、こうして書いているのは、さびしい理由があるのです。
息を殺して、そこかしこに潜んでいる同類!
彼らに、「その通り!」と言わせたく、恐る恐る書くのです。
同類でなければ、取り付くシマはなく、リアクション不能。
俺はそれを恥じて、赤面しつつ引き下がる。
旗を持って雑踏に繰り出す同類を、俺こそ潜んで待つべきか。
ごらんなさい、結局エセ国語教師の思うツボ、曰く「書けないなら書けないということを書け」。
電車に乗って、勤務して、家族の面倒を見て、考え事をして、それらを書けない切なさ。
毎日、これほど興味深い出来事があるというのに!
さて、うまく言えないから、書くことで補うつもりではなかったか?
話すのがヘタクソだから、文章を利用したのではなかったか?
どうやら、話すことと書くことが混ぜこぜに合わさってしまったらしい。
言葉未満の頭の中のソース。
それは独りよがりで、攻撃的で、意地悪で、醜いものです。
だから相手に気を遣い、礼儀正しく、選んで絞って考え考え、毒の無い一滴を抽出する。
そんな会話が億劫で、黙り込んだのではなかったか。
書くことでも、事情は同じだったわけだ。
今まで書いたものが、急に白々しく思えてくる。
害の無いよう、細心の注意を払っていたような気がする。
いっそ、開き直って毒虫になろうか。
「有害日記」はどうだろうか。