2006年08月15日

×造が飛んだ(初稿)

色濃い青空に雲はまばらで、忘れた頃にトビが横切る、初夏の穏やかな午後。
整備された河川敷とは別に、増水時にも比較的無事な、草木の生い茂る一帯を有している、二級河川の広河原の出来事。

痩身の男が太った女の手を引いている辺りは、ススキに似た雑草が繁茂する草むらで、子供たちの秘密基地が出来たり、浮浪者が小屋を作ったり、あるいは勝手な畑が散在する、謂わば公然無法地帯である。水辺には、川の流れと並行する、古い杭がいくつか立てられていた。
先頭で草を掻き分けていた男は、杭に気がつくと歩を止め、女はそこで、一畳分くらいのシートを広げた。男と女は、素早く下半身だけ脱いでシートの上に重なった。
……ぴーひょろー
その遥か上空、トビの位置から俯瞰すると、微動する、男の白い尻だけが目立っていた。

そのひとつ向こうの杭の辺りで蜥蜴が、厳密には三匹のニホンカナヘビが、交尾を巡って右往左往していた。カナヘビ×子は、身体を緩慢にくねらせながら、絡みつくカナヘビ×造に身を任せていた。×造は、無我夢中で×子の身体に巻きつき、どこをどうすればいいのか、手探り足探りで奮闘していた。
×子は経験があったけれども積極的ではなく、ただ×造に、好きなようにさせているだけに見えた。
傍らでは、事の直前に×造が打ち負かした、隻眼の老カナヘビがうろつき回り、×造と×子の所作を見るともなしに見ていた。
×造は、右の目で老カナヘビをけん制し、左の目で×子の腰つきを追った。若き×造は、初めてにしては過酷な交尾をそうとは知らず、交尾の目的も知らず、さらには相手が×子である根拠も無かったけれども、一心不乱に努力した。

事を終えた痩身の男は、空に向かって喫煙した。
太った女は下着をつけるとバッグを抱いて立ち上がり、雑草をバッグで押しのけるように、下流のほうへ歩き出した。
男はしばらく空を見ていたが、やがて煙草を投げ捨て、大股で女の後を追った。

何度目かの失敗で、×造が×子の身体から手足を離したとき、急に×子は一目散に走り出した。あっけに取られていると、老カナヘビが×子を追った。いや、大きな何者かの近づく気配に逃げたのだった!
音を立てて藪を薙ぎ倒す足音が近くで聞こえた。×造も逃げ出したかったが×子の行方が分からない。硬く尖った部分が引っ込まない。
躊躇していると、少し先の草薮の隙間から、古い杭に這い上がる老カナヘビが見えたので、×造は真っ直ぐ、杭に向かった。
×造が杭にたどり着き、必至で這い上がっていると、その脇を老カナヘビが落ちるように降りていった。落ちたようにも見えた。気になったが、大きな何者かの足音がすぐ近くに聞こえるので、留まるわけにはいかず、ついに×造は杭の突端に躍り出た。
そこに×子の姿は無かった。殺風景な広河原が続いているだけだった。(しまった!)
背後に太った女の気配が迫った。眼下の草むらの少し先には、同類の移動する背中が見えた。
(×子か!)老カナヘビかもしれないが、問答無用、×造は杭のてっぺんから飛んだ。
手足をいっぱいに広げて、恐れず、力まず、飛んだ。
  (×子おおお、つづきをしよううう)

突然、風が起こり、×造の姿は無くなった。

……ぴーひょろー
太った女は、目の前を飛んだトビに驚いて立ち止まり、あっという間に遠ざかる影を見送った。
痩身の男は、女に追いつき、女の右手を掴んで踵を返した。男に手を引かれる女は、素直に従っているように見えた。

安全地帯に逃げ込んだ×子は、老カナヘビと交尾を始めていた。
獲物を捕らえたトビは、悠々と旋回しながら上昇した。
我に返った×造は、自身の尻尾を切ってトビの脚から脱出した。
初夏の穏やかな午後、二級河川の遥か上空で、風に揉まれて木の葉のように空を舞う×造なのであった。


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村松恒平責任編集/ブログ文芸誌 『電気蚯蚓は宇宙を夢見る』参加作品として、文章学校「文章ゼミX」提出(2006.8.9)。2作目。

Posted by chitoku at 2006年08月15日 17:19 | トラックバック
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