2006年03月26日

ガラスの音で春は回る

「つかれたっ」と孫がプールから戻った。「おかえり」外はまだ蒸し暑かった
が、私は、9歳になる孫の身体を気遣い、クーラーを切った。「サッシをあけ
たほうがいい」私が言うと、孫は「あいよ」と水着袋を袈裟懸けしたまま、重
い鉄のサッシに手をかけた。
 ≪ギリシィィィィ!!!≫
「うひょう」私と孫は同時に短い悲鳴をあげた。孫の手が滑り、誤ってサッシ
のガラスを引掻いたのである。「ブルッときたなあ」「さびー、ギャーハハ」
お互い目を合わせ、大いに笑った。孫は面白がって、わざとガラスを引掻いた。
 ≪ギリシギリシキシリシィギィィィ!!!≫
孫は嬉々として、今度は両手を振りかざすものだから、堪らず私は「やめ、や
め。」とそれを制した。「はあい、水着かたして来るね」と言って、孫は風呂
場の方へ飛んで行った。私はガラスを引っ掻く音の余韻に身震いし、改めて網
戸を引き、晩夏の温い風を室内に通した。その後少しして、孫が忍び足で戻っ
てきた。せっかく何か企んでいるようなので、気付かぬフリを装ったが、
 ≪ギリシィィィィ!!!≫
またしても短い悲鳴をあげつつ、ガラスを引っ掻く孫に目を遣る羽目になった。
孫は満面の笑みで、私の顔色を窺っているようだった。
「だめだよお」とおどけた表情を見せたが、孫は一層調子に乗ってしまった。
 ≪ギィィィィギリギリィィィ!!!≫
「ねえ、なんでさぶくなるの?」私は極力落ち着いて、大人の返答をしたかっ
たが、どうにも鳥肌がおさまらず、身悶えする他すべが無かった。
嬉しそうに私を弄ぶ小悪魔は、よく見ると水泳用の耳栓をしていた!
 ≪ギィリィギリギシィィィ!!!≫
「ねえ、おじいちゃん?ぷぷぷ」これ以上孫を調子に乗せてはならないと思っ
たが、悶絶極まった私は、祖父として孫に対峙する余裕が無くなっていた。
 ≪ギィィィィギリギリィィィ!!!≫
「おもしろいねえ!キャハハ」このまま脳溢血で逝ってもおかしくなかった。
止むことの無い身震いは、痙攣のように見えたかも知れなかった。
 ≪ギィリィギリギシィィィ!!! ギィリィギリギシィィィ!!!≫
私は、身体を緊張させするのが億劫になり、音への抵抗を諦めた。すると不思
議なことに、不快感が払拭されてしまった。
 ≪ギギシギリシキシリシィィィィ!!! ギリシィィィィ!!!≫
それは、激しい夕立を上着で遮ろうとし、結局ずぶ濡れになって諦めた時に似
ていた。私は体を弛緩させ、嫌な音を全身に浴びながら横になった。
 ≪ギィィィィギリギリィィィ!!!≫
責めを受け入れ、嫌な音に身を委ねた私は「引掻く動作」をして、孫にもっと
やれと合図を送った。下腹部に鈍痛を覚え、眉間に皺がよった。涎が垂れた。
 ≪ギィリィギリギシィィィ!!!≫
「どうしたの、おじいちゃん、おじいちゃん!」
「ううう、もっと掻け!」私は、十数年ぶりに、男を回復していたのである。


◆第6回 3D文章塾(略称ゼミ)
◆課題「硝子(ガラス)」
課題の内容に沿って、本当(実際の体験や伝聞)と嘘(想像したこと考えたことなど)を半々に、1400字以内の文章にまとめてください。

Posted by chitoku at 2006年03月26日 00:58 | トラックバック
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