何年かおきに、急に夢に見たり思い出したりする、忘れられないイメージがある。解釈不能なイメージを含みながらも、相当古い、幼少時の体験を象徴しているように思われる。
例えば、荒れる父親に追われて、実家に逃げる母親。たいてい私が母親に手を引かれ、妹が父親の腕の中で泣いていた。
これは「思い出」と呼ぶべき実体験だけれども、イメージとなると、まるで心理学の事例か素材か、単なる思い出の風景ではない。
…なにしろ男の子は、半分泣きながら、母親を呼んでいるのだ。既に泣いている、妹の手を引きながら、懸命に歩いているのだ。
「会えなくなるかも知れない」という根本的な不安に加えて、「妹はどうすりゃいいんだ」という困惑。男の子は、よく知っているはずの、市営団地敷地内さえ、何かで読んだ「人食いの森」のように感じられた。
団地と空は暗く、道行く人は疎らで、男の子は、色んな知った人の顔を次から次へと思い浮かべた。でも、ちっとも名前が出てこない!母親は、顔さえ出てこない!「何にも悪いこと、してないのに!」
団地内の知っている道は、すべて歩いた。妹の手を離さなかった。心細くて、止まるのが恐かった。
妹が、「お母さんがいなくなったあ」と泣いて、その場に座り込もうとするので、男の子は、妹を見ず、ひたすら母親の姿を探し、呼んでいたのだ。
やっと男の子は、ある棟の階段で、父親の後ろ姿を見つけた。
男の子の父親は、洗濯機に首を突っ込んで、何かを探しているようだった。男の子は、動けなくなった。
父親の顔を思い出せなかったし、洗濯機から顔を上げて欲しくなかったのだ。
恐いから。きっと物凄く恐い顔をしているから。
まもなく、男の子に気が付いたらしい父親は、その顔を上げようとした。
男の子は、急に自分の心臓の音を聞いて、父親の顔が見えそうになった瞬間、思わず顔を背けて走り去った。
そのとき「あっちにいるぞ」と声がした。父親の声だろうが、誰の声だろうと少しも気にならなかった。「あっち」がどこのことかも、誰がいるのかも、男の子は分かっていたのだ。
市営団地を二分する、広い道に出ると、自転車で走り去る、母親の後ろ姿を見つけた。よく見る母親の後ろ姿でも、表情は全く分からない。ただ黙々と、規則正しく自転車を漕いでいる、母親の後ろ姿。
男の子は、とにかく走って母親を追ったが、その差は少しも縮まらなかった。
男の子は、何度も母親を呼んだけれども、母親はちっとも振り向かなかった。
意外にもそれは、「悲しい」というより「ふうん、そうなんだ。」といった感慨で、男の子は父親の顔が、どんな恐ろしい表情だったかということの方が、気になって仕方なかったのである。
了
◆第十回 文章研究会(ゼミ) 2003年10月31日(金) 課題「逃げる」
<ゼミで村松さんや、参加者の方々に頂いたご指摘をもとに、冒頭部分など訂正したものです。>