2003年00月00日

「くさはら」第8期参加作品

――開けた草原第8期作品集 第8回 通算番号73番―― 

性(さが)

冬の終わり、冷たい雨上がりの夕刻、若き黒猫は、藪に囲まれた神社に辿り着いたのである。
親を知らず、生まれた場所も分からない、名前さえ無い黒猫は、一人旅を続けていた。
黒猫には、家族も友達も夢も無かったけれども、そのためなのか、他猫を妬んだり怨んだり、世をすねたりする心持ちとは無縁であった。
落ち着ける場所が見つからないから移動を続け、敵を作らぬよう気を使えば仲間も出来ない、そうした日々の旅暮らし。

神社の石段を登り、鳥居をくぐると広い境内の向こうに本殿が見えた。
黒猫は今までの経験から、寺や神社などでは、厄介な集団さえ巣くってなければ、まともな食事と寝場所を得やすいことを知っていた。
右手の暗い藪の中を進み、塀に沿ってしばらく行くと、小さな宝物殿があった。
そこで一晩明かそうかと様子を伺いながら近づくと、猫の話し声が聞こえてきた。
宝物殿の軒下では、丸々肥えた雄の虎猫と、毛並みのよい雌の白猫が前足で牽制し合っていた。
「乾いてんだろお、よお!」
「放しなさい、汚らわしい!」

空腹の黒猫は、白猫の味方をして、食事と寝場所にありつこうと考えた。
息を殺して虎猫の背後に廻り込み、猛然と虎猫の咽喉笛に噛み付いたが、若い黒猫の牙は、虎猫の厚い脂肪を噛んでいるだけであった。
虎猫は黒猫を振り回し、何度も何度も地面に打ち付けた。
ところが若き黒猫には、死の恐怖は無かったので、決して離れない。
他にやることもく、守るものも無い黒猫は、白猫や食事の事などすっかり忘れて、全身の苦痛を「噛む事」で耐えていた。
この時黒猫にとって、噛んでいることと、痛みに耐えることは、生の全てなのだった。

疲弊した虎猫は前足を使って黒猫の顎を開こうとした。
その時、宝物殿の軒下の、ずっと奥のほうから、眼光凄まじい老いた雄の白猫が現れた。
すばやく虎猫に近づいて、虎猫の口に何かを押し込んだ。
驚いて、黒猫を引きずったまま逃げていった虎猫は、やがて倒れて動かなくなった。

「馬鹿があ!」
朦朧としていた黒猫は、その怒声と肉が打たれる音で我に返った。
黒猫は、全身が痺れて力が入らず、牙を剥いたままの口角からは、虎猫のものか黒猫のものか分からない、涎の混じった血が流れていた。
宝物殿の方には、仁王立ちする老猫と、その前で崩れ泣く雌の白猫が見えた。
黒猫が動かない虎猫に驚いていると、老猫が黒猫に近寄り、肩をたたいた。
「女房が迷惑をかけたな。」

こうして神社の白猫夫婦と出会った黒猫は、しばらくこの宝物殿で養生するよう勧められた。
この神社は久呂之輪神社といって、由緒正しい千年以上の歴史があり、白猫夫婦の住処である宝物殿の倉庫には、文書や刀剣、薬草の種などが奉られていた。
老猫の親やその親、またその親と、彼らの一族は代々、この宝物殿を住処にしていた。
さらには、「宝物を守る猫」として、神森家という神主一族によって容認され、保護されていた。

女房猫は、黒猫の傷をひとつひとつ手当てしながら、独り言のように話していた。
「多分、あなたよりも若い頃に、主人と出会ったの。私も流れ者だったけど、当時の主人は山の向こうまで知れ渡るくらい強かったの。私が一目惚れして、毎日毎日遊びに通って。父親みたいに歳は離れていたけれど、私の粘り勝ちね。押し掛け女房と言うのかしら。」
「2年くらい前かしら、主人はどこか内臓の病気に罹って、すっかり老けてしまって。でも、気持ちは昔のまま変わらない。私の気持ちも、だから同じよ。」
「主人は、口には出さないけれど、あなたのような息子が欲しかったはずなの。なぜか私のお腹には、子供が出来なかった。ねえ、私達の子供になる?フフ冗談よ。もう大人よね、ごめんなさい。」
聞くともなしに聞いていた黒猫だったが、自分が子供なのか大人なのか、自分で分からない事を不思議に感じた。

その晩、黒猫は、彼らとの食事に「家族」を感じていた。
老猫は、病気がちだが、歳相応の威厳を保っていて、女房猫は、近くで見ると神々しい色気と、独特の匂いを放っていた。
黒猫には、女房猫が姉のようにも感じられたが、その端正な雌らしさは、きっと母親に近いものであった。
その女房猫のいたわりを、黙って受け入れる無骨な老猫。
老猫に殴られた女房猫の白い頬は、赤々と腫れていたが、触れず気にせず、お互い何も無かったようであった。
黒猫は「絆」というものも感じていた。

翌朝黒猫は、依然として宝物殿の前に倒れている虎猫に気づき、一体何を飲ませたのか、老猫に尋ねた。
「ご神宝の薬草さ。眠ってるだけだが、二度と目覚めない。」
老猫によると、宝物殿の倉庫の奥にある辛櫃には、麻薬の一種が納められているらしかった。
その実態は、種から絞った濃縮された液体であり、銀の小瓶にいれて、何百年も前から保存されていた。
老猫は、小瓶の下に敷かれた、薬液の染み込んだ和紙を千切って使ったのだと説明すると、倉庫の奥に黒猫を案内して、器用に辛櫃の紐を解き実物を見せた。
黒猫は、女房猫と同じ、独特の匂いを感じて、大きく吸い込もうとしたが、老猫が制して言った。
「そんなに嗅ぐと、飛ぶぜ。」

その日の午後老猫は、黒猫を連れて鼠狩りに出掛けた。
黒猫は、老猫の思惑通り、狩りに対して格別の興味を示した。
子供の無い老猫は、黒猫との巡り合わせに、神懸り的なものを感じていた。否、感じようとしていたのかも知れない。
老猫は、しばらく鼠狩りなどしていなかったが、自分で積み上げてきた技術を少しでも黒猫に伝えたかった。
それは、虎猫の一件に、黒猫の資質を認めていたからであり、又、自分の寿命が早晩尽きるであろう事を知っていたからなのだ。
老猫は、黒猫の眠っている本能を開眼させるべく、自身の体力が持つ限り、黒猫の次の旅立ちを忘れさすよう努めた。

黒猫の傷が癒えるまでは、主に老猫が手本を見せた。
老猫は病のせいか、瞬発力や跳躍力に乏しいようにも見えたが、総合的な獲物捌きは一流であった。
傷が癒えてくると、老猫に付き添われながらも、黒猫が鼠を狩った。
生まれて始めての、鼠の味や鼠狩り、さらには熟達者による手ほどき。黒猫にとっては、毎日が刺激と興奮の連続であった。
時々咽るような嫌な咳き込みをする老猫であったが、黒猫がひとつ技術を習得するたびに、満面の笑みをもって黒猫を抱擁した。
黒猫は、無口な老猫に代わって、日々の成果を毎晩女房猫に報告した。
そのたび女房猫は、我事のように黒猫の武勇伝に喜んだ。
黒猫の感じる「家族」とは、若干趣を異にしていたが、老猫も女房猫も黒猫のいる毎日に「家族」を感じていた。

          ***

やがて暖かい春が訪れ、黒猫は見違える程大人びた猫になり、忘れかけていた旅の事を考え始めていた。
反面、老猫の病は進行しつつあり、傍目にもそれと解るほど衰弱していた。
黒猫が、初めて小鳥の捕獲に成功した日、老猫は、狩りの帰りに黒猫を呼び止めて、少し改まって語り出した。
「お前はいい雄になった。そろそろ一人前だ。まだ聞いてなかったが、メスの経験はあるかい?いや、俺がもう少し若けりゃ、雌猫の口説き方だって教えてやったさ。他にも教えてやりたいことは山ほどあるぜ。だが俺は近いうちにくたばりそうだ。お前に会えて良かったよ。久呂之輪の、神様のお蔭かもな。まあ聞けよ。」
老猫は、黒猫の目を覗き込むようにして、更に続けた。
「いいか、他でもねえ、俺の頼みだ。ウチのを、俺の女房を、抱いてやってくれ。」
若き黒猫は、老猫の真意を半分も理解していなかったが、それでも全身が火照り、鼓動に合わせて下腹部が充血するのを感じていた。
「何も夫婦になれって訳じゃあねえ。俺が死んだら、出て行くのも留まるのも、お前が決めることだ。ただ、俺はもう2年も3年も、女房を抱いてねえ、立たねえのさ。今が熟れ時の雌猫だって言うのに、俺は女房が不憫でならねえ。薬で飛んだからって癒せるもんじゃねえんだ。このまま死ねねえ、でも俺のは使い物にならん。頼む、無茶な話だとは思う、だが、他人にゃ頼めねえよ。後生だ、黙ってあいつを抱いてくれ。」
老猫は、感極まって涙を流していた。

その日の深夜、黒猫は指示された通りに、そっと女房猫の床に入り込み、背後から女房猫の肩甲骨を噛んだ。
一瞬硬くなった女房猫の体は、深い吐息と同時に、ぐったりと黒猫に委ねられた。
女房猫の柔らかい体と、独特の匂いも相俟って、黒猫は、全身が心臓であるかのように脈打った。躊躇する心も、老猫の涙も忘れて。
黒猫は、老猫に指示された通り、決して声は出さずに、ひたすら背後から抱いた。
女房猫も、決して声を漏らすことなく四肢をよじらせ、二人の体温は溶けるほどに上昇した。
果てては抱き、果てては抱き、夜が明けるまで、黒い獣と白い獣の、声を殺した激しい慰め合いが続いた。

それから数日後、老猫が死んだ。
女房猫は、まるで夫の死期を知っていたかのように、淡々と老猫の死化粧を始めた。
首から背中を舐め、前足から腹を舐め、後ろ足から下腹部を舐め、最後に鼻の頭から顔全体を舐めた。
その光景を黙って見ている黒猫の前には、目には見えない厳粛な壁があった。
女房猫と黒猫は、神社のしきたりに従って、老猫を宝物殿の外、神主に発見されるであろう場所まで運んだ。
悲しいけれども涙が出ないのは、女房猫と関係したせいでもあるのだろうと、むしろ黒猫は、老猫に対して憤るような心持でいた。
女房猫は、老猫を運び終えると奥の間に崩れ伏し、声を立てずに泣いていた。
黒猫は、あの日以来、女房猫を直視出来なくなっていたので、泣いている女房猫の丸い背中をさすってやることも出来ずにいた。
声も出せないやりきれなさに耐えかねて、黒猫は、泣きつづける女房猫をそのままにして宝物殿を出た。

暖かい陽だまりの、本殿手前にある灯篭の上で、黒猫はこれからの事を考えていた。
・・・「ねえ、私達の子供になる?」
血の繋がりがあろうと無かろうと、黒猫は「家族」を感じていたのだった。
・・・「出て行くのも留まるのも、お前が決めることだ。」
黒猫は、父親のように慕った老猫に促されるまま、母親のように感じた女房猫を狂ったように抱いたのだった。
黒猫は、今まで感じたことのない憤りや、苛立ちを覚え、良く晴れた高い空を睨んだ。
「好意に甘えて長居すべきでは無かった、彼らの息子然として愛嬌振りまくべきでは無かった、彼女を抱くべきでは無かった!」

黒猫は、早急に旅立つべく宝物殿に戻った。
女房猫の姿が無かったが、黒猫がかつて想像した通り、倉庫の奥で辛櫃に頭を突っ込んでいる女房猫がいた。
黒猫が旅立つ旨を告げると、女房猫は「飛んだ」笑顔で手招きした。
黒猫が戸惑っていると、女房猫は黒猫の手を引き、絡みつき、その場に押し倒した。
「いいのよお、フフ。いいのよお。」
始めは拒んだ黒猫であったが、目覚めたばかりの肉情と、薬物の強い匂いにあてられて、またしても猛々しい獣に変貌した。
女房猫を抱くことが、黒猫の生の全てであるかのように。

行為が終わり、しばらくぐったりと横たわっていた黒猫と女房猫であったが、突然女房猫が奇声を発して泣いた。
「うをわおう!おわああ!」
驚いた黒猫は、すばやく身を引いて咄嗟に声を掛けたが、女房猫には聞こえないようであった。
女房猫は奇声を発しながら、床に何度も頭を打ち付け、さらに辺り構わず飛び跳ねて、自ら体中を痛めつけるのであった。
嗅ぎ過ぎた薬が切れたのかも知れないと思って、黒猫は一旦倉庫を出た。
黒猫は改めて、雌猫の不思議を感じていた。
・・・あの日、女房猫は、誰に抱かれていたのだろう。
やがて、女房猫の奇態はおさまり、「ゆるされないのよお」と聞こえて静かになった。
「しまった!」
慌てて黒猫は倉庫に戻ったが、女房猫は、薬液の染み込んだ和紙を頬張って、涙を流したまま動かなくなっていた。

全ては、自身の滞在に原因がある気がして黒猫は、決して目覚めない女房猫に深々と詫びた。
黒猫は、辛櫃の中の、薬液の小瓶を取り出した。
女房猫と同じ、独特の匂いがした。黒猫が、初めて感じた雌猫への欲情。
・・・「もう大人よね」
黒猫は、傍らにあった巾着袋に小瓶を入れて、自分の首に提げた。
それから、女房猫を辛櫃の中に押し込んで、浅く蓋をした。
「おやすみ。」
暖かい春の日の夕暮れ、美しい白猫の形見を提げた黒猫は、溢れる涙を振り切るように、再び一人旅に出た。
親を知らず、生まれた場所も分からない、名前さえ無い黒猫は、もはや子供では無かった。


初出 15年 05月 25日

「リレーオムニバスサークルサイト・開けた草原」参加作品

■前回の作品から何か一つモチーフを取るオムニバス■
■前作と違うジャンルで構わない
詳細、前後作品はこちら…

Posted by chitoku at 2003年00月00日 00:00 | トラックバック
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