いつか私は、知らない場所を歩くのだった。
目にするのは、全く記憶に無いものばかりだ。
今も、まるで見たことの無い、深くて暗い、公園の噴水くらいの大きさの、眠ったような窪地の前で立ち往生している。
そこで、迂回しても、飛び込んでも、あるいは立ち小便とか、埋め立てとか、一切は自由なのだった。
辺りに散らばって私を見ている、ぼんやりした人たち。
見たことのない周囲の建物。
見たことのない電柱。
全く記憶にない看板や鳥や空までも、私を見ているだろうか。
考えあぐねて私は、後ろにいる、おじいちゃんの上半身に聞いた。
この窪地に呼び名はありますか。
こまごもりだよ。
ふうん。
私はおじいちゃんを踏み台にして、くもり空に向かって、高々と舞い上がる。
離れて見るこまごもりは、暖かくてやわらかいのだ。
人々や建物たちは、一様に肩を震わせていた。
こらえながら笑っているのだった。
こまごもりは、恥ずかしがるように広がり、ネオンライトのように色をいくつも変えながら、こんもりと盛りあがるのだった。
私は、盛りあがるこまごもりに向かって落下する。
ところが、こまごもりも同じ速さで落下しているらしく、私はいつまでたっても、受け入れられないのだった。
こまごもりを知っているのに。
詩歌の最近のブログ記事
親を恥じる心。
親の体臭を厭う心。
親を見下す心、蔑む心、憐れむ心。
その心はやがて、
親の心をゆがめ、ねじ曲げ、こわばらせ、
おはようの挨拶さえ、
噛み合わず、ぎこちなく、
食卓に会話なく、日常に軽口なく、
親を恥じる心なきあとも、
楽しき団欒の戻ることなし。
正直な心は親を恥じ、家族を失う。
※旧地下城から転載。
2002年5月20日の創作です。家族!かぞく、カゾク...過俗?たかが家族、されど家族!生涯テーマのひとつです。
俺のげんこつは、いかつくて、怒ったように角張っている。
お前にげんこつを作らせたら、親指が中に入っていて丸く、下唇を噛んで恥ずかしがっている子供のように見えた。
俺はお前のげんこつになりたい。
※旧地下城から転載。
2001年12月27日の創作です。こういうのを上手に朗読出来ると良いのですが。
一人路上の喧燥を離れ 、乱立するビルの屋上に出る。
歩行者天国に凝集している、黒い、 砂鉄玩具のような人間の頭。
秩序なく広がる頭の群れは、 同じく広がる建造物と溶け合う。
風に煽られ、天を見るとき、
自転車に乗り、
人民帽をかぶり、
押し寄せる、灰色の、
灰色の大群衆を夢想する。
「一人位殺したって、分かりゃしない。」
蟻一匹殺すのとどこが変わる? 命の重さ?何のことだ?
よく晴れた「気持ちの良い」空に腹を立て、 もう一度下界を見下ろすが、
雑多な黒い頭が、激しく脈を打つ、 人民帽が消えない。
何なら、飛び降りてみようか?
※旧地下城から転載。
これも2000年かそれより前の創作です。
無題
ぬれまいと思うや花のいぢらしきしたたる露の宵の春雨
無題
天井を見る
天井を見る
寝転んで
生活の大海原に
寝転んで
※旧地下城から転載。
2000年かそれより前の創作で、詩歌らしいものを書いた最初です。「宵の春雨」の方は、ずっと後になって掌編小説に挿入したりして。↓
2006年04月23日__春 ~ 在りし日の詩人に捧ぐパロディ 『火星パンダちとく文学』所収



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